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マルタン・マルジェラ。1957年、ベルギーに生まれる。アントワープ王立芸術アカデミーでデッサンを学び、79年にファッション科を卒業後、ミラノで活動。84年にパリで初めて見たジャン・ポール・ゴルチエのショーに感銘を受け、アシスタント入り。

88年に「メゾン・マルタン・マルジェラ(MAISON MARTIN MARGIELA)」社を設立。1989 S/Sにパリ プレタポルテ・コレクションにデビュー。全ての常識を覆すもので、「デストロイ・コレクション」と称される。高級志向に対抗し、「ポペリズム」と呼ばれる90年代のトレンドの先例を作った。1999 S/Sよりメンズウェアラインを開始。

コレクションのフィナーレに姿を見せる事は殆どなく、現在でもファッション業界関係者で素顔を見た人は極少数。 雑誌のインタビューもFAXで質疑応答し、ミステリアスな雰囲気を演出している。 (デビュー直後はまだイメージ戦略が立っていなかった為か、記者と対談しインタビューに答えている。 「初めてゴルチェのステージを見た時の感動」を普通に返答している。)

1998-1999 A/Wから2004 S/Sまでエルメスのレディースプレタポルテのデザインを手掛けた。また、過去にアレグリ(allegri)のデザインも手掛けた。2000年9月、東京・恵比寿に世界初の路面店をオープン。2002年12月には東京・南青山のフロムファーストビルに、2003年8月には大阪・南船場にオンリーショップをオープン。

現在マルタンの服や小物には0〜23迄の数字が明記された白地の布が縫い付けられており、そのタグからコレクションラインを読み取る事が出来る。この表記方法は、恐らくメンズラインがコレクションに加わった辺りから採用されている仕様で、以前のレディースコレクションのみの時は現在のコレクション「1」同様に、何も書かれていない白い布が縫い付けられているだけだった。(下記参照)

0−手仕事により、フォルムをつくり直した女性のための服
0 10−手仕事により、フォルムをつくり直した男性のための服
1−女性のためのコレクション ※ラベルは無地で白
4−女性のためのワードローブ
10−男性のためのコレクション
14−男性のためのワードローブ
11−女性と男性のためのアクセサリーコレクション
22−女性と男性のための靴のコレクション
13−オブジェ、または出版物
MM6−♀のための服

作る服の方向性としては「アンチモード」を掲げており、中でも軍服のリメイク品や中古ジーンズに白ペンキのペイント等の作品は「ポペリズム」(貧困者風)と呼ばれた。それまでの煌びやかで優雅な雰囲気を持つ「モード」とは対極のコレクションとして「デストロイコレクション」とも呼ばれ、以降マルジェラの代名詞ともなった。又過去には、畳むと四角になる服などのデザインでコムデギャルソンと合同でショーを行った事もある。(マルジェラ自身も、コムデギャルソンのデザインやデザイナーの川久保玲を深くリスペクトしている)初期から日本の売り上げが多く、最初からの大取引先である仙台の「レボリューション」との関係は有名。尚、2002年にディーゼル社に買収される。

ブランドリスト

アーペーセー  アレキサンダーマックイーン イヴサンローラン イッセイミヤケ 

ヴィクター&ロルフ ヴェロニクブランキーノ  エルメス  クリスチャンディオール  

クリスヴァンアッシュ  クリストフルメール  クロエ ケンゾー

コスチュームナショナル コムデギャルソン ジバンシー シャネル ジャンポールゴルチエ 

ジュンヤワタナベ ズッカ ステラマッカートニー セリーヌ   バレンシアガ 

フセインチャラヤン ヘルムートラング ポール&ジョー マルタンマルジェラ ヨウジヤマモト 

ラフシモンズ ルイヴィトン ルシアンペラフィネ ロエベ エミリオプッチ  グッチ ヴェルサーチ

フェレ アルマーニ ジルサンダー ドルチェ&ガッバーナ  ニールバレット フェンディ 

プラダ アトウ アンダーカバー ケイタマルヤマ シアタープロダクツ ジョンローレンスサリバン

タイシノブクニ ドレスキャンプ ナンバーナイン ミハラヤスヒロ ミントデザインズ 

ラッドミュージシャン  wjk